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1417件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1982-12-09 第97回国会 衆議院 本会議 第5号

そして、あのときに日中関係のために田中内閣を支持しよう、田中内閣を出現させよう、そう考えまして、櫻内代議士大石武一代議士あるいは野田武夫先生中村梅吉先生等とは、かなり早い時期から首脳部の間で相談をしておったのでございます。そして、いよいよ七月の改選の時期になりまして、私たちの同志は打って一丸となって田中政権を実現させたのです。  

中曽根康弘

1981-05-14 第94回国会 衆議院 地方行政委員会 第15号

岩佐委員 これまでの法案では、たとえば前回昭和四十四年度提出法案審議に当たっては、当時の野田武夫自治大臣は、地方公共団体は、この改正法の施行を契機として、すべて当然に定年制に関する条例を設けなければならないものではなく、あくまでも当該団体における人事管理の実情から見て、定年制を必要と認める場合において、条例定年制を設けることができるとしたものでありますと答弁をされております。

岩佐恵美

1976-08-04 第77回国会 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第20号

中曽根と彼の師匠に当る野田武夫が目黒の自宅にやってきたのは47年5月の下旬であった。そのとき中曽根は、「各派とも立っているからおれも立つ」といっている。「そうしないと〃草刈場〃になってしまう。また、知らん顔してると金でやられてしまう、だから金を貸してくれ。」つまり、立候補するといいながら結束を固め、金でつなぎとめ、ぎりぎりのところで高く売るという戦術である。

塩出啓典

1975-08-19 第75回国会 衆議院 内閣委員会 第32号

私は、野田武夫さんが自治大臣のときに、あなた方定年制法案をお出しになったからトップ質問でその問題から入りまして、とうとう答弁できなくなって、二日間私は地方行政質問席にすわっていたんですよ。それでつぶれてしまいましたけれども。  だから、そう簡単におっしゃられても困るのです。相手があってやっているんですから。だから正しくこの法律はやはりお考えいただきたいんですよ。

大出俊

1975-05-07 第75回国会 衆議院 内閣委員会 第15号

私は、地方行政委員会に頼まれて、トップバッターを引き受けて、二日間この委員会をストップさして、野田武夫さんがその当時の自治大臣で、岡山県知事広島県知事か何かになった例の長野さんが行政局長答弁できやしない。私は、二日間質問席に座っていて、とうとうこれはつぶれてしまったという経過があるじゃないですか。

大出俊

1975-03-25 第75回国会 衆議院 内閣委員会 第8号

野田武夫さんが大臣岡山県知事におなりになった長野さんが行政局長答弁おできにならぬから私は二日間質問席に座っていた。そうしたらつぶれた。それだけのことだ。地方公務員法法律上明確になっているものを勝手に解釈変えてはいけませんよ。法律条文にないものはないんだ。均衡原則なんというものは二十四条にない。どこに均衡と書いてありますか。教特法は別だ。それは「当分の間」だ。

大出俊

1975-02-24 第75回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第1号

野田武夫さんが大臣であった。その事実をお認めになった。かくて定年制法案は通らなかった。そうでしょう。知らないのじゃない。ラスパイレスなんという問題は、おたくの方で一番詳しいのは課長補佐でしょう。山崎さんでしょう。山崎宏一郎さん。地方公務員給与水準についてラスパイレス指数をどう見るか、全部説明なさっている。四に「ラスパイレス指数の限界」とここにある。

大出俊

1974-04-04 第72回国会 衆議院 地方行政委員会 第23号

それではお尋ねいたしますけれども、四十四年の一月六日に、当時の大蔵大臣と、なくなりました当時の自治大臣野田武夫さんとの間に覚え書きがあります。その覚え書きの第一項に「当分の間、相互に、地方交付税の率の変更を求めることはしないこととするとともに、」と書いてあります。大臣にお尋ねしたいのでありますが、覚え書きは四十四年でありまして、ことしは四十九年でありますから、五年ぐらいたっている。

細谷治嘉

1972-06-16 第68回国会 衆議院 議院運営委員会 第37号

     長 船田  中君         副  議  長 長谷川四郎君         事 務 総 長 知野 虎雄君     ————————————— 委員異動 六月十六日  辞任         補欠選任   寺前  巖君     松本 善明君 同月  辞任         補欠選任   松本 善明君     寺前  巖君     ————————————— 本日の会議に付した案件  議員野田武夫逝去

会議録情報

1972-06-16 第68回国会 衆議院 議院運営委員会 第37号

まず、議員野田武夫逝去の件についてでありますが、去る七日、熊本県第一区選出議員野田武夫君が逝去されました。  ここにつつしんで哀悼の意を表します。  野田君に対する追悼演説は、本日の本会議において行なうこととし、演説者は、日本社会党川村継義君にお願いいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

田澤吉郎

1972-06-16 第68回国会 衆議院 本会議 第40号

昭和四十七年六月十六日(金曜日)     —————————————  議事日程 第三十四号   昭和四十七年六月十六日     午前十時開議  第一 学校教育法等の一部を改正する法律案   (文教委員長提出)     ————————————— ○本日の会議に付した案件  川村継義君の故議員野田武夫君に対する追悼演   説  裁判官訴追委員の選挙  公正取引委員会委員任命につき同意を求めるの   

会議録情報

1972-06-16 第68回国会 衆議院 外務委員会 第22号

多年にわたり、当委員会委員あるいは理事として委員会審査のために御尽力せられ、またその間二度にわたり外務委員長として御活躍なさいました委員野田武夫君が去る七日逝去されました。まことに痛恨のきわみであります。  ここに哀悼の意を表し、御冥福をお祈りするために黙祷をささげたいと存じます。御起立をお願いいたします。   〔総員起立黙祷

櫻内義雄

1972-06-07 第68回国会 衆議院 外務委員会 第21号

         補欠選任   石井  一君     園田  直君   北澤 直吉君     古井 喜實君 同日  辞任         補欠選任   園田  直君     石井  一君   古井 喜實君     北澤 直吉君 同月七日  辞任         補欠選任   勝間田清一君     楢崎弥之助君 同日  辞任         補欠選任   楢崎弥之助君     勝間田清一君 同日  委員野田武夫

会議録情報

1972-06-01 第68回国会 衆議院 決算委員会 第14号

        決算委員会調査         室長      池田 孝道君     ————————————— 委員異動 五月二十六日  辞任         補欠選任   阿部 文男君     小平 久雄君 同日  辞任         補欠選任   小平 久雄君     阿部 文男君 同月三十一日  辞任         補欠選任   阿部 文男君     倉成  正君   笠岡  喬君     野田 武夫

会議録情報

1972-05-31 第68回国会 衆議院 外務委員会 第19号

通商産業省公益         事業局原子力発         電課長     武田  康君         外務委員会調査         室長      吉岡 俊夫君     ————————————— 委員異動 五月二十六日  辞任         補欠選任   木村 武雄君     北澤 直吉君 同月三十一日  辞任         補欠選任   田村  元君     浜田 幸一君   野田 武夫

会議録情報

1972-05-25 第68回国会 衆議院 本会議 第33号

      中島源太郎君    中島 茂喜君       中曽根康弘君    中村 梅吉君       中村 弘海君    中村 拓道君       中山 利生君    中山 正暉君       永田 亮一君    永山 忠則君       灘尾 弘吉君    南條 徳男君       二階堂 進君    丹羽 兵助君       西岡 武夫君    西村 直己君       西銘 順治君    野田 武夫

長谷川四郎

1972-04-26 第68回国会 衆議院 外務委員会 第11号

    午前十時二十五分開議  出席委員    委員長 櫻内 義雄君    理事 青木 正久君 理事 石井  一君    理事 坂本三十次君 理事 正示啓次郎君    理事 永田 亮一君 理事 山田 久就君    理事 松本 七郎君 理事 西中  清君    理事 曽祢  益君       宇都宮徳馬君    小坂徳三郎君       田川 誠一君    田中伊三次君       西銘 順治君    野田 武夫

会議録情報